将来がある若者へ
同じ様に多感な少年時代を送ってきた同年代の皆さんへ
これから「変わりたい」と強く想う皆様へ
私の経験が、誰かの「心の支え」や「後押し」になれたらと思い伝えていきます。
今回は私が警察官になろうと思った理由についてお話します。
出身は千葉県の松戸市、最寄りの駅は新松戸駅です。
駅から徒歩15分位の場所にあるマンションで大学4年生まで両親と9歳年下の妹と共に暮らしていました。
大学卒業後、長野県警察官に合格したことを理由に、実家を離れ長野県に単身引っ越しました。
今思うと学生時代は本当に色々なことがありました。
皆さんも様々な経験をされて大人になってると思いますが、私も楽しかった思い出よりも、むしろ辛く苦しいことが沢山あった学生時代でした。
小学生時代はとにかくサッカー一筋でしたね。
サッカーボールと常に一緒にいれば上手になると思って、サッカーボールと風呂に入ったり一緒に寝たりとにかく笑ってしまうほど素直でした。
中学2年生の時に、そのサッカーで人生に大きな影響を及ぼす大事故が起きてしまいました。
サッカーの練習中に後輩が蹴ったボールが左目を直撃してしまい、それによって左目に大けがを負ってしまったのです。
気が付くと病院の集中治療室で、激痛と全く目が見えない現実に愕然としました。
その後、約1か月入院をして、何度何度も手術を繰り返しました。
当時は失明すると言われていたのですが、幸い目に注射を繰り返したり手術の成果もあり、何とか視野の半分は回復し完全な失明は免れたのです。
私はその後も、どうしてもサッカーでプロになりたいという夢を諦めることができませんでした。
地元東京で有名な名門修徳高校に入学してサッカーを続けることにしました。
しかし、高校1年生の夏に無情にもドクターストップがかかってしまい、生き甲斐であったサッカーを断念せざるを得なくなってしまったのです。
私は目の前が真っ暗になりました。
夢を失うということはこういうことなのか・・・
一体この先、何を目標に生きて行けばよいのか全く分からなくなってしまったのです。
迷走した学生時代
そんな状況の中、私は生活が荒れてしまい悪い連中と行動を共にして、俗にいう「不良」となってしまいました。
地元には悪い連中が多く、そんな連中とつるんでは悪さを繰り返していました。
散々喧嘩やバイクを無免許で乗り回したり荒れ狂いました。
中には薬物やシンナーを使用している連中もいて、どんどん自分が何のために生きているのかも分からなくなっていったのです。
その様な生活を繰り返していた高校2年生の時、盗んだバイクを無免許で乗り回していたところを警察に捕まりました。
それがきっかけで幸い「このままではいけない」と改心することができ、当時の悪仲間と距離を置き勉強に力を注ぐようになりました。
しかし、周囲の連中はより行動がエスカレートして、ヤクザ等「反社会的集団」に所属するようになっていったのです。
私は幸い高校を卒業後、大学に進学できました。
高校時代を反省し、明るいキャンパスライフが送れると気分一新大学生活を送っていた時のことです。
帰り道に、以前つるんでいた連中と出会ってしまったのです。
そして、私はその連中に車で拉致されて、長時間監禁されたのです。
裏切り者と車内で殴られたり
短刀で脅されたり
と長時間肉体的にも精神的にも再起不能になるくらいにリンチされたのです。
あばらの骨が折れて、泣いても叫んでも許してもらえませんでした。
その後親から何十万もの大金をもらってはそいつらに渡し、毎日毎日マンションの下に呼び出されては暴行を繰り返されていました。
相手は何十人もの仲間を引き連れていたので、私に逃げるという選択肢はありませんでした。
逃げれば、殺されるという恐怖で正常な判断能力は停止しておりました。
そんな生活を繰り返し、私は精神的におかしくなってしまい、学校にも行けずに引きこもりになってしまったのです。
もう本当に怖くて怖くて、外に出れなくなってしまいました。
そんな生活が数か月間続きました。
父親は、拒む私を力ずくで松戸警察署に連れていき、警察に傷害や恐喝の被害届を出してくれたのです。
しかし、当時の担当刑事から、「お前がそんな連中と付き合っていたから自業自得なんだよ。頭冷やせよ!」と言われ、その言葉で心がひどく傷つき、警察に強い嫌悪感を持ってしまいました。
結果的に、私に危害を加えてた連中は警察に捕まりました。
そして、少年院に送られたため、私は平穏な日常生活を取り戻すことが出来ました。
しかし、それは一時的な安心でした。
成人式の時に再びその連中と出会ってしまったのです。
私は、ひどく脅されました。「次に顔をみたら殺す」とか、「ぼこぼこにして海に沈める」とか、あり得ないような脅し文句で脅かされました。
私はその時強く思いました。
「自分が強くならなければいつまでも状況は変わらない」
「このままではいつまでたっても俺は奴隷の様にいじめられっぱなしだ」と。
そして私は、色々と考えを巡らせた結果、警察官になることを決意したのです。
それから人が変わったように、毎日毎日真剣に勉強をしました。
それと同時に、左目の視力を回復させるためのトレーニングもしました。
一日1時間穴の開いた眼鏡を掛けて視力矯正トレーニングを行い、何としても警察官採用試験の身体条件をクリアすることが出来る様に真剣に取り組んだのです。
その時の集中力や信念は並大抵なものではありませんでした。
自分が変わらなければ、変わらなければ生きていけないといった極限まで自分を追い込んでいた記憶があります。
連中に負けない自分に変わるという強い気持ちの他に、当時の担当刑事に言われたあの一言を思い出すと、「俺が警察を変えてみせる」という怒りが同時に込み上げてきました。
警察は弱者の味方であるべきだ
こんな警察ではいけない
そんなことを当時の担当刑事から言われた言葉を思い出すたびに、警察官になって見返してやるというパワーがみなぎってきたのです。
自分が警察を変えることなど今考えると到底できるはずもありません。
ですが、それほど自分の人生を変えてたいと願う気持ち、そして、強くなり弱者を救いたいという気持ちが人一倍強かったと思います。
これが警察官を志した理由です。
警察官になるという夢を果たせたと同時に、次は「人の役に立つ自分になる」という新たな夢に向かって走り出しました。
しかし、志半ばで退職して、自分を見失ってしまいました。
長い年月が経ち、自分探しを繰り返し歳を重ねた今、新たな夢が見つかり情報発信のためこのような執筆活動をしております。
自分の知識や経験が、当時の自分と同じように悩んでいる人たちの「解決の糸口」になれたら嬉しいと心から願っております。
👇YouTube動画でご覧ください


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