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玉太郎です。
今日は、俺の親父に書いた気持ちを投稿します。
生きていること。
それだけで幸せだと思う。

『忘れかけていた大切なもの』
冷たい父の手を握り締め、父が昔から何度も繰り返し言っていた言葉を思い出した。
『人は心なり』
忘れかけていた父の言葉を改めて父が私に思い出させてくれたのです。
私は、平成8年4月に「人のために働きたい」という一心で警察官になることを決意し、故郷の千葉県を離れ、長野県警察官を拝命しました。
私が長野県に旅立つ日のことです。
父は単身長野に向かう私の目を見つめながら、別れ際に「人は心なり」と言って、小さな紙袋に入ったセーターを私にくれたのです。
当時の私には、父が言った言葉の意味や、父がなぜ私にセーターをくれたのか、その理由は深く考えもしませんでした。
月日がたつにつれ、長野県における生活や、警察官としての仕事にも慣れ、毎日充実した生活を送っていました。
しかし、次第に仕事の多忙や、単純な事務仕事の連続から、人の為というよりも、むしろ自分の為に仕事をしていると感じるようになってしまったのです。
また、親との連絡も途絶えがちになり、心配する親の気持ちを尻目に、自分の生活を精一杯という状態になっておりました。
そんな矢先の1月7日のことです。
母から電話があり、「お父さんが倒れた。検査をしたら肝臓癌で医者から余命はあと数日と告げられた。」という連絡を受けたのです。
私は、思いがけない母からの突然の連絡に耳を疑い、体が硬直して、しばらくその場を動くことができませんでした。
「なぜ、あんなにも元気だった親父が癌なんだ」
自分の気持ちの中で形にならない考えを巡らせ、上司に相談して、連絡があった二日後に父親が入院している病院に駆けつけたのです。
父親の元を訪れたところ、父親は全身に黄疸がでて、意識もほとんど無く目を見開き瞬きも自分の力でできない状態でした。
私はすぐさま、父に歩み寄り、
「親父・・・親父・・・」
と何度も呼びかけ、薄らぐ意識を何とか取り戻した親父の手を握り締めたところ、父は私を口元に引き寄せて、
「憲太郎元気だったか。人のために仕事頑張るんだぞ」
と声にならない声で、私を励ましてくれたのです。
私は今にも息絶えそうな父が発した優しい言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなり涙が込み上げてきました。
苦しくて、苦しくて、自分のことだけで精一杯のはずの父が、私を労り、励ましの言葉を掛けてくれたのです。
この時、私は、自分のことよりもまず人のことを第一に考える父の優しさを感じると同時に、日々忙しい生活を送るなかで、人に対する優しさや思いやりという大切なものを忘れかけていたことに気付いたのです。
父はその2日後の1月11日の午後、静かに息を引き取り、61歳という若さでこの世を去りました。
私はその日の夜、冷たくなった亡き父の手を握り締めながら、父とともに暮らしていた時のことを振り返りました。
そして、父がよく私に言ってくれていた
「人は心なり」
という言葉を思い出し、母に父がくれたセーターの事を聞いたのです。
すると母は涙を溢しながら、
「長野は寒いからと言って、私が編んだセーターをあなたに渡したのよ」
と教えてくれたのです。
「人は心なり」という父の言葉は、警察官として人の為に働く私にとって、大切なことであるということを、父は死を以て改めて私に気付かせてくれました。
父が亡くなって7日後に長男が誕生し、父の言葉を授かり
「心也」
と名付けました。
この名前は、子供に対する父の思いと、自分がこれから警察官として働く上で、
「人に対する思いやりや、優しさ」
を決して忘れないという決意から付けた名前です。
私は「人の為に働きたい」という一心で警察官になりましたが、月日が経過するにつげて日々の忙しさや慣れから「心」という大切なものを忘れかけていました。
これから警察官として様々な人と接していく中で、常に人に対する優しさや思いやりという気持ちを持ち続け、どんな厳しい境遇にあっても、「人」に対して手を差し伸べることが出来る人間になれるように日々取り組んでいきます。 平成15年9月26日
この時胸に抱いた気持ちは、境遇が変わっても今でもずっと変わらない。
俺は、これから先の人生を生きていく中で、
「お笑」や「歌」
というパフォーマンスを通じて、多くの人達にプラスのエネルギーを注いでいきたい。
それが、これから先の俺の役目だと思っている。
こんな俺だけど、これからも末長く仲良く本音でよろしくお願いします



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